ある時、自分はいつから大人になったのだろうと考えた。
歳をとったから?
結婚したから?
仕事をしてるから?
子供がいるから?
そう思った時、子供の自分と今の自分の違いを感じた様な気がした。
子供の頃の僕は自分がどういう人間かを言えなかった様に思う。
大人になった今は自分はこういう人間で、どういう考え方をしていて、何が好きで、どんなことが得意かを答えられる様になった。
僕は大人になった時から僕以外の誰かになる可能性を失ったのだ。
それは、アイデンティティの確立、個性の確定と言えると思う。
これが大人と子供の差異、人が一人の人間になると言うことなのだと思う。
それに気づいた時、それは少し寂しい様な気もして、一方で今まで生きてきた自分の人生がただ無為な時間じゃなく、積み重ねられてきた経験に裏付けされる個性を生み出したということが少し誇らしくもあった。
子供はどう頑張ってもすぐ大人にはなれないと言うのはこう言う意味で本当なのだろうと今の僕は思う。
つまり、子供の頃は大人になったと言えるほどの一人の人間としての個、確立された自己自身を時間と経験が担保してくれないので、どう頑張ってもすぐには大人になれないのだ。
大人になる為には今更変えることも出来ないと本人が諦めてしまうほどの個性と積み重ねられた経験が必要だからだ。
故に今の子供諸君にはその子供時代を大切にしてほしい。
そのかけがえのない経験を積む時間は確実に自分のこれからの人生に多大な影響を与えるのだから。
その経験を通して、自分がどんな人間になるのかを想像しながら大人になっていくのがいいんじゃないだろうか。
勿論、個性を確立した大人はこれから何にも変わることができないと言う暴論を振り翳すつもりは毛頭ない。
人には誰しも平等に変化する権利があるはずだ。
しかし、大人が何かになろうとしても、今までの振り切れない過去が影響して挑戦や変化に対してバイアスをかけてしまうのもまた事実。
振り返れば過去の自分。
その過去の自分を振り切れなくなる時、人は大人になるのだろう。